綻ぶ口許が隠しきれない
「──…もう一日泊まってくって?」
「はい、ですから今日は自由行動です。好きに過ごして下さいね。朝食はここに置いておきますから」
「…りょーかい」
「あ、でも余り遠くには行っちゃ駄目ですよ、暴れないで大人しくしていて下さいね」
ビシ、と釘を刺して彼女は急ぎ足で部屋を出て行った。
王子さんのとこにでも行くんだろうか。
寝起きの頭をガシガシと掻いて大きな欠伸をひとつ。
セーブルの宿屋。ぼんやり見た外はまだ薄暗い。
「…いま何時だよ…」
ぼやくけれど。
好きなだけ寝て好きな時間に起きていたこれまでの日々とは昨日でおさらば。
これからは王子の影武者として、ラ・シャナ軍に参加して。
今までの自分を振り切るのだ。
そんな決意新たな朝…の筈が
「…ねみぃ」
元山賊の彼も例に漏れず、睡魔にはめっぽう弱かったり。
…
コン、コン
再度枕に沈み、眠りに引き込まれそうになった瞬間、控え目なノックの音に引き戻される。
「んぅー…」
(もうちょい寝かせてくれよ…)
布団の中で眉をつり上げていると、静かに扉が開いて誰かが入ってくる気配がした。
反射的にとった行動は狸寝入り。
別に狸寝入りする必要なんてないけど、起きるのが面倒だったから。
これで引いてくれればいい、なんて思ったがどうやら甘かったらしい。
その気配は来た時と同じ様に静かに扉を閉め、こちらへ近付いて来る。
漸く差し込んで来た太陽を遮る様にして、気配はすぐ近くで止まった。
………
なんなんだ?
声を掛けるでもなく
おそらくただ、見ているだけ。
(今起きた振りすんのもなぁ)
どうにも引けなくなって、これは長期戦になるかも知れないなんて思った時
さや、と傍で絹擦れの音がしたかと思うと頬に掛った髪がそっと払われた。
まるで壊れ物を扱うかの様に、優しく、その手が直に頬へ触れてきたのだ。
さすがに驚いたが何とか平静、もとい狸寝入りを通した。
…一体何がしたいんだろう、コイツも、オレも。
相手の出方を窺う自分の心臓が
ドキドキとうるさい。
その手は少し冷たく感じたが、心地よかった。
こんな風に優しく触れられるなんてこと今までなかった(引っ掴まれるか殴られるかだった)からかも知れないし、ただ単に布団に入ってるから、温度差のせいなのかも知れない。
段々と、鼓動が落ち着いてきた。
少し体を丸める様にして腕を耳の下にしている今の体勢。
聞こえているのは、とくん、とくんという規則正しい己の脈の音。
眠りを誘うそれの心地良さも相まって、本当にこのまま寝入ってしまいそうで…
「痛っ」
が、その指先が痣に触れた時思わず声をもらしてしまった。
一騎打ちによってできた頬の打ち身。
同時にすっと離れた手がなぜか名残惜しくて、狸寝入りしていたことなど忘れ瞳を開けてしまった。
眩しい
逆光でよく見えないが、太陽の光を受けたその銀色の縁はキラキラと透ける様だった。
…しばし見惚れていた自分に顔をしかめて、ロイは口を開いた
「…んだ、あんたか」
眩しさに目を細めると、彼…王子さんは離れ、黙って窓にカーテンを引いた。
そして少し沈んだ表情を浮かべ、向かいのベッドに腰掛ける。
真直ぐに視線を合わせ、少し首を傾げる様にして口を開いた。
「…あ?」
何で口パク?
誰かに聞かれちゃまずい会話なのか?
部屋には二人しかいないのに。ドアを凝視しても人の気配は感じない。
何言ってんだ?と、同じく小首を傾げたオレを見ると、部屋を見回した王子さんはベッド脇に置いてあった紙を手に取り、膝を机にしてペンを走らせた。
間もなく書き終わり、ぴりりと破かれた紙が差し出された。
『声が出ないんだ』
綺麗な文字で、そう書かれていた。
「…え、アンタ…」
言われてみれば
オレは彼の声色を知らなかった。
つい前日初めて顔を合わせたばかりだが、もっと早く気付いても良かったはずだ。
なぜ解らなかったんだろう。
……そうだ
あまりに自然に周りの人間とコミュニケーションをとっていたから、解らなかったんだ。
声を発する事が出来ない。
そう分かったら何故か自分も合わせて、こっそりと、秘密の会話をする様に声を小さくして尋ねた。
「どうやってあんたは意思を伝えてるんだ?こうやって書けない時も、もちろんあるだろ?」
静かに耳を傾けていた彼は、ふと右の手でオレの手をとり、掌を己の胸へと引き寄せた。
「っ…?」
触れた時、彼の右手に宿る黎明の紋章が淡く光った気がした。
彼の瞳と同じ、優しい蒼の光だった。
触れさせたのか意図が掴めずに、少し下から覗き込む様に視線を合わせる。彼はオレの手を掴む手の力を少し強め、先よりもゆっくりと唇を動かした。
“こ こ ろ”
あれ
さっきまで判らなかったのに
今は分かる。
オレは頷いた。
“心”を示す為に掴まれたであろう手を離される。所在のなくなったそれを何と無く惜しく思いながら、座り直して真直ぐに彼の唇を見た。
こんなに真面目に人の言葉に聞く気になったのは、始めてかもしれない。
今まではろくに相手の方を向かずに話をしていたから。
目だって合わせなかったんじゃないだろうか。
どうしたんだ、オレは。
“ふだんは こうやって くちびるを よむんだ”
“でもね”
“いつも いっしょに いれば”
“なにを かんがえてるか だいたい わかるようになる”
完璧に唇を読めているのかは分からないが、そう言っていたのだとオレは感じ、また頷いた。
「じゃあさっきのは何て?もう一回」
同意を返すと彼は嬉しそうに口許を綻ばせたが、尻切れトンボになっていた話を戻した途端にまた、表情を陰らせた。
彼はきゅ、と唇を結んでから
“かおばかり ねらってしまって”
“ごめん”
と。
あぁ、その事か。
確かにすげぇ勢いで間髪いれずに殴られたから
痛かったけど。
んな事気にしなくていいのに。
始めたのはオレからだしよ。
ダセェけどぶっ飛ばされて目が覚めたっつーか。
「それはお互い様だろ。あんただって」
彼の頬に手を伸ばすと、痛みを感じたのかその碧眼が細められた。
同じ様な場所に痣があり、まるで鏡に映った自分に触れている様な錯覚に襲われる。
「…な。だから気にすんなよ」
自分でも驚くくらい、やわらかい声だった。
彼はホッとしたように頷き、頬に触れたオレの手を包んで、華の様に微笑んだ。
“きみのこと”
“きいたときから
“ひとめ あいたかった”
どきん、と
鼓動が跳ねる。
会いたかったとか、そんな…真っ直ぐ見つめながら言うのって、アリなのかよ。
ああ、せっかく落ち着いた心臓が、また。
「お、オレは!あんたに会いたく、なんか…」
うそ。
本当は、例の貴族坊ちゃんからそっくりだという話を聞いた時から、ずっと、見てみたい、会ってみたいと思っていた。
同じ気持ちだったんだ。
それでもどうしても頭の中から消えなかったのは
「自分と瓜二つなんて、気持ち悪い以外なんでもないかもしれない」
ということ。
正直そう考えていたのに、王子さんを目の前にするとそんなことは全くなくて。
それどころか…
いや、でもコイツはヤバイぞ。なんて面倒なことだ。
あんまり距離を詰められたら、オレは…
得体の知れない感情を振りほどこうとした手は、思う様に動いてくれなくて。
“ろい”
“だいじょうぶ こわがらなくて いい”
「!」
アンタはオレの事をどこまで知ってる
コンコンコン
「「!」」
彼と視線を絡めたまま、ドアの向こう側の気配を伺う。
「ロイ君?王子、来てませんか?」
リオンの声だ。
てことはコイツらすれ違いになってたのか。
「ぃン…?!」
いる、と声に出そうとしたら
彼の手でそれは遮られ
「ロイくーん?」
コンコン、と二回目のノック
ぼくのことは黙っていて、と彼自身の唇に当てられた人差し指が語る
塞いでいた手がそっと離れて
すまなそうに眉を下げた王子さんの顔を見てから
まぁいいか、とドアの向こうへ声を投げた
「…さっきまでいたけど、もういねーぜ!」
『…、……』
返事が無い。
…もしかしてばれてる?
そしたら彼も同じように感じたらしく
ドアの方を不安そうに見て
きゅ、とオレの手を握ってきたもんだから
なんとかしてやらねば、なんて気が起きちまって
「…はぁ?きこえねー。とにかく、今着替えてっから。別に見たけりゃ入っていーぜ?疑ってんだろ」
『な、けっこうです!!いらっしゃらないんだったら、他をあたりますから!』
からかいを語尾に絡めて言うと、案の定真面目なリオンはまともに受けてさっさと退散してしまったようだ。
「…いいのかよ、従者から逃げて」
胸を撫で下ろした彼へと、素朴な疑問を。
するといたって真面目に頷いて彼は
“かくれんぼ しているから”
「………そーですか」
だったらオレは
完璧に彼を匿った事になる。
つかこれはかくれんぼの反則技じゃねーの?王子さん。
後で分かったらリオンに小言を言われるのは、オレなんだけどな。
文句を言ってやろうと口を開けば
いつの間にか朝食のデザート(メロン)を頬張り中の王子と眼が合い
もぐもぐと美味しそうにこちらに微笑みかけられる
…戦意、喪失。
腕っぷしではなく
王子という人物の本当の力が分かったような気がした
そんなある日の朝の出来事。
2006/6/13
無意識でやっているから性質が悪い。
けれどそんなアンタを見て口元を綻ばせてるオレは、もっと性質が悪いのかもしれない。