赤い林檎と黄色い・・・





「よし…もう暫く安静にする事。いいな、よく眠れ」


診察が終わり、はい、と頷き返すとシルヴァ先生は少しだけ微笑んだ。
あまり笑顔を作る人ではない。


珍しさから見つめてしまうが、ふと目が合うと彼女はすぐにいつもの顔に戻ってしまった。


「ではな。…これ、良いから寝ていろ」


"…はい"


少しだけ身を起こして先生を見送ろうとしたら制されてしまって。仕方なく、ぽすりと布団に沈む。

何にせよ、早く治して皆に元気な顔を見せたい。
寝不足が祟ったのは自分でも分かっていた…この際だ、寝溜めしよう。
幸い、彼女の処方してくれた薬のお陰でいくらでも眠れそうだ。






ぼんやりと天井を目でなぞるうちに、なにか会話が聞こえたような気がしたけれど。

不揃いな石模様に吸い込まれるように、僕の意識は溶けていった。





******





「…またお前か」



ぎくりとしたロイの前に、シルヴァが立ちはだかる。
どうやらまた見付かってしまった様だ。



「んだよ離せ…!」



王子が寝ているという病室に、何とか見付からない様に忍び込もうとするロイだったが、この通り連戦連敗。
トレードマークの黄色いスカーフを掴まれて、またもや引きずり出されてしまった。


まるで背中に探索レーダーでも付いてるんじゃないか、という疑いを混ぜて、彼は彼女の手を振りきり向き直った。



「何もしねぇからよ、ちょっと…王子さんに用が!」



フン、と鼻を鳴らして首を振ると医師は呆れ顔で同じことを繰り返す。


「煩い。病室で騒ぐな…そんなに見たいなら自分の顔でも見ていろ」


「!…かー…ったくムカつくババァだぜ!」


さらりとかわされていよいよ(本人は気付いていないが王子の事になると無駄に)テンションが上がるロイを尻目に、シルヴァは背を向けてやれやれと息を漏らした。

この少年が常の態度とは裏腹に、王子に好意を寄せているのは分かっている。
少しくらい会わせてやるのも良いかとも彼女は思った。しかしやはり、病人は病人。それとこれは別。

王子は一日も早く回復して皆を安心させなければなるまい。
一人の体ではないのだ。

…しかし、王子もまた彼を好いている。
治りかけの大事な時故に今、起こしてまで会わせる訳には行かないが…これくらいなら良かろうて。
シルヴァは緩めた口許を引き締めるといつもの顔で振り向くと、まだ諦める様子のない彼ににじり寄る。


「は、な…おい…ちょ待…!」
「大人しくせい」


そして何事だと硬直したロイの懐へと、おもむろに手を伸ばしたのだった。



*******



「兄上、ミアキスに習うて…ほれ!!」


何かと思えば小さな手から現れたのは、赤いつんととがった二本の皮のついた…どうやら、林檎、らしい。


「初めてにしては、なかなか可愛いであろ?ウサギじゃぞ」


お世辞にもウサギに見えないそれ。けれど努力した後は見える。ミアキスにからかわれながらも頑張ったんだろう、指先にいくつかの絆創膏が貼られている。

ほれほれ、と自慢げに見せてくる可愛い妹の頭を撫で、良く出来たね、と王子は微笑んだ。
我ながら甘いが、可愛いのだから仕方がない。


「さ、さぁ!兄上も食べるのじゃ!林檎は風邪に効くと言うぞ!」


途端に頬を染めたリムに更に微笑をもらした王子の口許に寄せられた林檎の、みずみずしい香り。
頬張り口内に広がった爽やかな甘さ…大切に持って来たのだろう、手の温度で少しばかり温かくなってしまっていたけれど、王子には彼女の心使いこそが嬉しくて仕方なかった。







懐かしい。
酷く。







夢と現実の間をゆらゆらとしながら、段々と意識が覚醒してくる。

「…目が覚めたか。とうに薬は切れているはずだからそれだけ眠ることが出来れば、もう大丈夫だな」



そんなに眠っていたのか。
少し体を起こしてみると、窓の外はもう、こっくりと深い闇が支配していた。

「ああ、そうだ」

声に視線を戻すと、彼女が白衣のポケットから何やら黄色い包みを取り出している所だった。

おや
この黄色い布は…



「…差入だ。匿名でな」

"あ ありがとうございます"



両のてのひらに収まる程の包みを受取り、そっと開いてみる。



「彼にしては気が利く差入だと思うが」

…ああ、本当に。

よく磨かれ、きらりと光る甘い香りのそれをそっと、手に取って。黄色い布は…やはりスカーフだ。

思わず、くすりと笑ってしまった

匿名で、なんて。
この黄色いスカーフの持ち主は一人しか思い付かない。


「素直に差入があると言えば、何度も追い出さずとも良かったんだがな」

腕を組みほぅと溜め息をついた彼女は、しかし心なしか楽しそうだ。
変な所で照れ屋なロイが用件を真っ直ぐに伝えられずに、シルヴァに丸め込まれてしまった様が浮かんでくる。

彼は今、僕の代わりに動いてくれている。その存在がどれほど僕の支えになっているか、彼は気付いているだろうか。

早く会いたい。

三日触れていないだけなのに随分長い間離れている気がして、少しでも温もりが残っているのではとそっとスカーフと林檎を撫でた。

「ふふ…今食べるなら剥いてやるぞ」

察したシルヴァが申し出る。
長い睫を幾度か瞬かせるほんの少しの間を置いて、王子はゆると頭を振った。

"あす たべることにします"

「そうか。それも良かろう。明日は動いて良いから、それまでもう少し休むんだな」

頷いて、栄養剤と短い挨拶を残して席を立ったシルヴァの背中へ微笑み掛けた。
暫くして彼女のデスクに小さな灯りがともる。この城に彼女の様な医師が来てくれて良かった。安心して治療を任せられる。



…さぁ
代わりに頑張ってくれている彼にどんなお礼をしよう。
たまには僕の方からアプローチしてみるのも良いかもしれない。


そうそう、林檎のお礼もしなくては。


そこまで考えて、夢に見た妹の姿が浮かぶ。
彼女と良く似た髪色のロイは、この林檎をウサギ型に剥けるのだろうか。
いや、「なんですぐ食べなかったんだ」と言われてしまうかもしれない。
でもウサギ好きの自分としては是非やってもらわなくては。


もし何か言われたとしても…そんな憎まれ口さえ、好ましく思える。

そんな自分はどうかしているのかもしれない。
ふふ、明日が楽しみだ。



"おやすみなさい"



誰に言うとも無く呟いて、王子はそっと瞼を閉じた。



END









2006/9/18
BACK